インタビュー
エド・チャーニー : UA愛好者がエンジニアリングの秘密と Spinal Tap の新作づくりについて語る。

グラミー賞、そしてTEC賞を受賞したプロデューサー/エンジニアー、 Ed Cherney はインタビューするのに最も面白い人物の一人である。また、彼は最も才能のある人物の一人でもある。まだ彼を知らない人の為に紹介するが、Cherney は偉大なロックミュージックエンジニアの一人であり、その輝かしい功績は、The Rolling Stones、Bonnie Raitt、Jackson Browne、Bob Dylan、Eric Clapton等との仕事、そして現在はSpinal Tapである。同業者から高い信頼を得て、チャーニーはすでに六つのグラミー賞にノミネートし、そのうち3つを獲得している。中でも注目すべきは、1992年のエリック・クラプトンのレコード大賞受賞曲、”Tears in Heaven” でのエンジニアリング賞受賞である。1994年には、ボニー・ライトのアルバム”Longing in Their Hearts” で、誰もが切望する“ベスト・エンジニアー・アルバム賞”を持ち帰ったのである。 この年は著しく、そのカテゴリーでノミネートされた5つのアルバム中3つを、彼がレコーディング・ミキシングを担当した。 私は彼と、 Spinal Tap の新作、”Back From the Dead”、また彼の経歴や良き先輩達、そしてUniversal Audio社製ギアの使用について話した。

 

ed

あなたの経歴について話してくれる?どうやってエンジニアになったの? また、どこで生まれ育ったのかしら? 

ええっと、実際には、トラックの運転の仕方を知っていたから、僕はエンジニアになったんだよ。みんな、そうやって始めたんじゃないのかい?(笑) 僕はシカゴで生まれ育ち、R&B音楽の大ファンだった。僕は常に音楽―ピアノ、ギター等を勉強していたよ。でも、僕自身はまったく上手なミュージシャンではなくて、決してそれが(音楽が)実行可能なキャリアだと思っていなかったよ・・・僕の想像上を除いてはね。

大学に通っていた時は、僕は将来何になるかなんてわかってなかった。ロースクールに行くつもりだったと思うよ―両親が僕にそうして欲しかったのさ。でも、大学4年の時、両親の家に帰省した際、僕の友達何人かがバンドをやっていた。 彼らはツアーに出る予定で、僕に彼らのトラックを運転して欲しいと言ってきたんだよ。毎年夏は、叔父のためにトラックを運転して学校に行っていたから、トラックの運転方法は知っていたんだ。だから、僕は友人達のトラックを運転して、彼らのバンド機器一式を運んでいたよ。

 

“Dimension D”は、手持ちの中で僕のお気に入りプラグインの一つだよ。Dimension D なしでSpinal Tap の新作はありえなかった。Dimension Dなしでは、あの低音サウンドはだせないんだよ。


あの頃、サウンドシステムはまったくの基礎的なもので、僕は興味をもったんだ。ある晩、友人達のバンドのミキサー担当が辞めたか、酔っ払ったかして姿を現さなかったんだ。僕はバンド機器をセットしてて、そして突然、その夜のライブのミキサー担当に選ばれたっていうわけだよ。本当に自分が何をしていたかなんてわからなかった。でも、とにかくやり切ったんだよ。なんとか、良いバランスを取ることができたんだ。きっと「ミキサー」という仕事に対して、自然な親しみがあったんだと思う。だから、どんどんその仕事をやり始めたのさ。 夏の終わりには、友人達はデモテープを作るのにスタジオに入ることになり、僕を(ミキサーとして)呼んだ。僕はスタジオが存在していることさえ知らなかったよ。まったく僕には思いもつかなかった。そして、僕がスタジオに入った時、まるで電球がぱっと輝いたようだった。これこそ、自分が一生やっていくものだとわかったんだよ。

その時、人生の方向性を変えたの? 

ああ、ロースクールに行く代わりに、DeVryに入学したんだ(笑)。そこで、電子工学や電気、そして「オームの法則」や代数を学んだよ。    DeVryに通っている時も、僕は他の違うバンドの仕事を続けていたんだ。シカゴにある地元のP.A.カンパニー(業務音響設備会社)に雇われ、音響装置を運んだり、モニターをしたり、街にやってくる色々なバンドのフロント・オブ・ハウス(照明や音響オペレーター、またモニターエンジニア等)をし始めたんだ。一方、すべてのスタジオを回り、仕事を探していたんだよ。その当時、たくさんスタジオがなかった。2,3年かかったけど、一ヶ月に一回シカゴ中のスタジオ回りをしたんだ。幸運に恵まれてなかったけどね。スタジオで仕事を得るのは、今より多分大変だったんだよ。 まあ、今日では不可能だけどさ。

そうしているうちに、たまたまどこかで・・・“Mix Magazine”だったと思うけど、まあもしくはその類の雑誌で、シカゴ市内でBruce・スウェディン氏に教わるレコーディングコースの広告を読んだのさ。彼が何者かまったく知らなかったけど、とにかくシカゴ市内のスタジオで行われるこのレコーディングのクラスに応募したんだ。自分で授業料を払って行ったよ。そして、Bruce・スウェディンが教え、何を彼がしてきたか話してくれたんだ。僕は本当に感銘をうけたよ。僕らは意気投合して、友達になった。コースを取った後、僕はシカゴ市内で行われる彼の他の授業にも、かばん持ちをしながらついて行き始めたんだ。そして、彼がいる所はどこにでもいた。簡単に言ってしまえば、僕は本当に彼の邪魔していたんだよ。

1年後のある日、毎月恒例のスタジオ回りで、Paragon Studiosという所に立ち寄った。前日に誰かが辞めたか、クビになったかしたんだと思うけど、とにかく僕はスタジオに入っていった。その日、そこでたまたまBruce Swedienが働いていたんだよ。彼らは僕にテストのチャンスを与えてくれたんだけど、僕はちっとも答えが分からなかった。でも、Bruceはスタジオから何度も出てきて、僕の様子を見に来てくれていたんだ。だから、僕は「Bruce、この答えはなんだい?」って聞いたんだよ。彼は僕に答えを教えてくれ、髭をなでながら、ある種の笑みを見せた。そして、スタジオに戻っていったよ。だから、僕は彼が言った答えを書いたんだ。なんと、彼が教えてくれた答えは全部、間違いだったんだよ!(笑)  彼は単に僕をからかっていたんだ。とにかく、その日に僕は雇われたよ。僕はシカゴのParagon Studiosのエンジニアー見習いとして雇われたのさ。僕はそこで約3年間働いた。僕はトイレ掃除とか、本当に底辺から始めたんだ。

Spinal Tapと

そして、徐々に今の地位を築いていったのね。 

次第に、スタジオでのセッションの準備やテープ送りを手伝うようになるようになった。そのスタジオは、本当に人を訓練してくれるような場所だったよ。そのスタジオのオーナーはマーティー・フェルドマンという男で、自分が雇った若造に、本当に興味を示してくれた。文字通り「見習い期間」だったよ。本当の底辺から始まったけど、スタジオがどういうふうに成り立っているかとか、  セッションの準備の仕方や音楽録音の仕方を学んだ。Ohio Players recordsや Tyrone Davis、それに The Chi-Lites等がレコーディングしていた。だから、僕も自分が大好きなものを手がけることができた。でも、彼らはロックン・ロールもレコーディングしてたよ。それにJingle も毎日やっていた。ある日、ポルカバンドをレコーディングしたと思えば、次の日にはオペラ風なもの、ロック調な曲、R&B、またある日は バンジョーさ。多くの違う種類の音楽をレコーディングするバックグラウンドを築けるんだよ。そのスタジオには本当に良いポリシーがあって、「もし失敗したらクビだ!」だった。(笑) もし彼らのプログラムをやり遂げたら、自分の専門分野においては本当に何でも知るようになるんだ。僕はスタジオにいるのが本当に好きだった。彼らは僕を追い出せなかったよ。僕は寝ることよりも食べることよりも、スタジオにいるのが好きだったのさ。でも、数年家に帰らずにいたら、一種の燃え尽きてボロボロの状態になった。僕は文字通り、週100時間働いていて、たぶん時給にして2ドルとちょっと稼いでいたと思うよ。僕はBostonというグループのあるレコードを聴いた。あんなギター音を聴いたことはなかったよ。僕はそのレコーディングがカリフォルニアにあるスタジオで行われたことを知って、それに参加したいと思ったんだ。

 

それでLAに移ったの?

僕とガールフレンドは、車に荷物をできるだけ詰め込んで、もし車に入らなかったら歩道の縁石に置いていった。そしてカリフォルニアに出発したんだ。僕らはカリフォルニアに到着すると、ビルボード・スタジオ・ダイレクトリーを手に入れ、まずWの段から始めてスタジオでの仕事を探したんだよ。最初に行った所はWestlakeだった。行ったその日に雇ってくれたよ。次の日には、僕はWestlakeのアシスタントとして働いていたんだ。アシスタント・エンジニアとしての最初に取り組んだのは、George Dukeのセッションのトラッキングだった。Tommy Vicariが担当のエンジニアで、僕はその音響の凄さ、素晴らしい音楽の才能、そして、彼がどんなに素晴らしいエンジニアであったか(今もそうだけど)に、ただただ感動したんだよ。今日に至るまで、僕はいまだに、彼がやっていたのを見たり聞いたりした技術を使っている。一ヶ月くらいの内に、誰がやって来て仕事をし始めたと思う?Bruce Swedien とQuincy Jonesだよ!彼らはMichael Jackson の“Off the Wall” のアルバムに取り掛かっていた。僕は単なる偶然で、彼らのアシスタントになったんだよ。僕はBruce がカリフォルニアに移ったのは知っていたけど、電話をしてなかった。突然、「やあ!僕だよ!」という感じさ。おまけに、僕は彼らのアシスタント・エンジニアだったんだよ。結局、僕は約6年間彼らのアシスタントとして働いた。“The Dude”(Quincy Jonesのアルバム)やLena Horne、Rufus and Chaka Khan、Patti AustinやJames Ingramなど等を手掛けた。彼らは、音楽業界の黄金期を独占していたんだよ。そして、僕は彼らのアシスタントとして、それらのアルバムに関わったのさ。 まるで天国にいるような気分だったよ。Quincyは僕を“Big Julie”と改名したんだよ・・・まあ、これはまた別の機会に。

 

Bruceから何を学んだの?

僕は、彼の隣に座っている「人間スポンジ」のようだったよ。マイケル(ジャクソン)が亡くなったのは知ってるよね?BruceやQuincyの背後に座っていた日々を思い出していたから、僕には彼の死がいっそう悲しいものになった。 本当に、僕に与えられた素晴しい機会、最前列から目撃したことを思い出させてくれたよ。僕が得たどんな成功も、彼らの後ろに座って直接得たものなんだ。

Bruceからは本当にたくさんのものを得たよ。僕が彼とQuincyから貰った一番大切なものは、素晴しいレコーディングの音はどんなものであるかという音響的観点と、さらに重要なことは、素晴しいパフォーマンスはどんな風に感じるかということさ。僕はそれを会得したよ。  Bruceは情報に長けていた。彼は自分のやっていることすべてを、僕に教えてくれたんだ。すべてのセッションで、彼の肩越しに教えてくれたのさ。もし彼がノブを回したら、僕は神経と耳を、その彼が回したノブに集中させたものだよ。そして、習得したのさ。

僕がBruceから学んだもう一つのこと:仕事をするときは“ビジネス”として割り切ってやること。彼はいつもそのことを僕に教え、戒めてくれた。ビジネスマンじゃなくてはだめなんだ。「ビジネス」をしているんだよ。マリファナを吸って、音楽をレコーディングするために、そこにいるわけじゃあないんだ。「ビジネス」をしているんだ。お金を貯めて、税金を払い、責任ある行動を取って威厳を持つんだ。あっ! それと時間どおりに現れて、仕事の準備をするんだ。

あと、別な事として、スタジオ・エチケットみたいなものは、(Bruceの)後ろにでも座ってない限り、他のどこにも探せるもんじゃあない。僕が言ったように、彼は本当に、全くと言っていいほど寛大で、率直で、自分の知っていることすべてを僕に教えてくれたのさ。

 

それはBruceがBill Putnam Sr.について語っていたことと同じよ。

本当?

ええ。だから、まさにそこに直結しているのね。Bill Putnamに会ったことある?

ああ、もちろん。彼にはユニバーサルで会ったよ。ちょうどBruceと出かける時に。

Bill Putnam はヒーローだ。彼が何をしたのか知っているよ。僕は彼のギアをいつも使っていた。でも、彼が亡くなってしばらく経つまで、僕は彼の偉業を正しく評価していなかった。特に僕の耳が洗練されるにつれ、そして、彼が考案したものがいかに音楽に恩恵をもたらし、音楽をより良くしたのか、それと彼が考案したツールがいかに素晴らしいものなのかを耳にするにつれて、僕は彼の偉大さに気がついたんだ。彼は本当に高いハードルを設けたんだよ。彼は本当に皆の為に基準を定めたのさ。 それに、僕はBruceがビルから継承したもの、そして僕がBruceから継承したものを本当に認識しているよ。

Producer CJ Vanston and engineer Ed Cherney at The Village Studios. Photo by David Goggin.

Spinal Tap  の新作アルバムを終えたところね

そう。”Back from the Dead” っていうタイトルだ。

そのアルバムに UAD パワードプラグインを使用したの?

そのとおりさ。僕が使ったのはそれだけだよ!いや・・全部じゃあないけど、かなり使った。

このアルバム編集中のジレンマは、1975年風に仕上げるのか、現代風にするのかだったんだよ。僕達の中で、現代のアルバム制作に関しては、最高のものを使いたいという感じには決まっていた。でも、僕達が「レガシー(遺産)」と呼べるようなアルバム制作にも、最高のものを使いたかったんだ。

ビンテージ風に、でも現代風の音の強さとか大きさも兼ね備えた感じに聴こえるようにしたかった。僕にとって1176LNなしでは、ギター音はだせないよ。 (1176LNは)ナイジェルのギターを完璧にするのに、なくてはならないものなんだ。それと、デジタル式機器採用のスタジオを使用すること。UAD1176を使えば、間違いなく上手くいくよ。実際、僕はすべてのギター演奏に1176を使用した。僕は1176をシグナルチェーンとして、基本的に僕が使うすべてのチャンネルに使用したのさ。

僕のとって1176なしのスネアドラムでは、伝統的なロック音楽はできっこないんだ。僕は「thwacking the snare―ピシャリと叩くスネアドラム」と呼んでいる。1176なしでは、成しえないよ。たぶん、できるかもね。でも僕はそんなことしたくないな。音のハーモニックスに働く何かなんだ。音の立ちあがりを調節し、ハーモニックスを引き上げ、それを前面に押し出すことができる。そして、音に命を吹き込むんだ。それは、他のどんな方法をつかってもできないよ。

小さなデジタルルームには1176のラック(棚)がないんだ。でも、どんな風に聴こえるかわかっているし、UADプラグインで何ができるかわかっている。

トラッキングをする時、UA社のハードウェアを使ったの?

使ったよ。でも、ハードウェアをそんなにたくさん使わないでレコーディングしたけどね。僕達は“Village Studio D”で新しいNeveを使ってレコーディングした。それに加え、Class A マイクプリと1176を使ってレコーディングしたよ。まるでスネアドラムとアンビエントマイクを使ったみたいにね。あっ!それと、ベースアンプも!でも、素材を保護するのにちょうど良いくらいのコンプで、十分なオーバーはできなかった。 僕はまだすべてを終わらせたくなかった。自分を、殻に閉じ込めたくなかったんだ。ミキシング作業まで待つことにしたんだよ。

 そして、LAのVillageでトラッキング作業をしたの?

僕達はVillageスタジオの大きな部屋の一つで、トラッキング作業をしたよ。それから、そこにある僕の個人的部屋、Studio Edでミキシング作業をした。

他のどのプラグインを使った?

SPLプラグインを使った。スネアドラムとアンビエント・マイクを使うのに本当に助かったよ。

Engineer Ed Cherney, Universal Audio President Matt Ward and engineer Elliot Scheiner

それは、“SPL Transient Designer”かしら?

ああ。スネアドラム使用の際に、本当にいいんだ。特に、(スネアドラムの)音に表情がないときにね。本当にぱっと明るく活気づけてくれる。それを(SPL Transient Designer)アンビエント・マイクに使うと本当に素晴らしいんだ。ハーモニックスを引き出し、前面かバックに押し出して、エンベロープで音の立ち上がり量を調節する。

僕は、実際、ハードウェアバージョンも持っているよ。だから、それらを並べて比較したんだけど、本当にちかいものだった。だから結局、再読み込みができるプラグインの方を使うことにしたんだ。

でも、ビンテージ風サウンドの為に、LA-2AやLA-3Aを使ったことを言っておいきたいね。

サウンドにおいてとても、とっても大事な要素が他に2つあるんだ。それは、自分のスタジオにPlateを持っていない。僕はUAD Plateプラグインを使ったけ。それは、僕が使ったメイン・リバーブ装置だよ。

それと、“Dimension D”は、僕の持っている大好きなプラグインの一つだって事を言っておきたい。Dimension D なしでは Spinal   Tapの新作はありえなかった。Dimension D抜きでは、あの低音サウンドはだせないんだよ。 僕は確実にバック・コーラス部分に使うし、そしてちょっとだけギター音にもと、いたるところに使うんだ。

僕が本当に気に入っている物が何かわかるかい?Neve 33609だ。

 

みんな、それは見落とすのよね。あなたはそれを何に使ったの?

33609はすごいよ。僕は、リード・ボーカルに使うのが大好きだ。素晴らしいバス・リミッター/コンプレッサーでもあるんだよ。

他に何が良いって知ってるかい?1073だよ。僕はそれを、自分が持っていた1073のハードウェアに対してためしたけど、結局プラグインを使うことになったんだ。

本当に?

そうさ。なぜなら、結局、再読み込み機能なんだよ。ミックスしたものを呼び出せば、そのままであらわれるんだ。本物を使ったら、ある種の手探りで、少しのことがかなり長引いてしまう。 でも、(プラグインを使ったら)ずっと楽にできるんだよ。

 “Precision Maximizer”は、僕がいつも使っている本当に良いよ。

ステレオ・ミックスで、“Precision Maximizer”を使用しているの?

実際、個々のトラックでそれを使っているんだ。特にギター音が大きな曲で、ボーカルを際立たせる必要がある時に、この“Precision Maximizer”は本当に良く効くんだよ。

あなたは、自身をどのようなだとおもう?

一番優秀な部類さ。(笑) 僕自身は自分をとても円熟したエンジニアーだと思っているよ。 僕は、多種な音楽において堪能なんだ。音楽であれば、僕はいつでも正しくできるし、映画やテレビ関係の仕事もやってきた。僕は、闘犬のようなエンジニアーでもあるんだよ。 最高だ!と思えるものになるまで、僕は決して諦めないんだ。

 

まるで、あなたが技術・音楽両面で舵を取っているようね。

そうだなー。実際のところ、技術面においては、できるだけ目立たないようにしているんだよ。 大体において、(理性とか知性の)頭からじゃあなくて、心から仕事に取り組んでいる。これは、絶対的にBruceから学んだことなんだ。

彼の持論は、いつだって 「君の耳じゃあなく、心の耳で聴いてごらん」なんだよ。